6月14日福岡市香椎にある葬儀会場に来たのは実姉の葬式に参列するためである。
突然の死であった。
死因は心筋梗塞で69歳であった。
2週間前に姉から電話で互いに元気であることを伝え合ったのに、これと言った既往症もなく民生委員だ自治会の役員など忙しく走り回っていた3歳上の姉が亡くなってしまうとは、命の儚さを思い知らされた。
葬儀は2人の息子に手を煩わせぬようエンディングノートに書かれていた意向を汲んでの物静かな葬儀であった。
エンディングノートはお墓を用意し葬儀費用預金先や生命保険加入、葬儀や参列者などの在り方等が2020年の日付で記述してあった。
後で知ったのだが亭主が亡くなった年に書かれていたものだった。
しかし、まさかこんなに早くこの日がくるなんて本人もさぞかし無念であったろうにと、そう思うと涙が出てきた。
親が亡くなった感情とは違う悲しみだった。
6月15日告別式を終え曇天で蒸し暑い中、ガソリン満タンで福岡を後にした。
来た道を逆戻りで高速道に乗り、蒸し暑いがエアコンを切り窓を半分位開けて左車線をのんびりと走った。
暫く走り門司の標識が見えてきたところで小腹も空き九州最後の地と言うことで壇之浦PAに立ち寄った。
▽関門橋
大きな建造物を暫く眺め感動したあとは小腹を満たすものを物色。
目に付いたのがコレ。あごだし唐揚げとCoke ONで無料でゲットしたドリンク。
1時間ほど休憩し気合い入れにアリナミンVをグビッと飲んで関門海峡を跨いで本州に入った。
▽ファイト1発ではなくアリナミンV
本線に合流し相変わらずの80キロ走行で左車線を走る。
80キロで走る大型トラックを先導車に見立てその後を着いていく楽な走り方だった。
トラック運行は430で走ることを義務付けしてあるらしと聞くがこちらは230だ。
オヤジは2時間経つとトラックの隊列から離れひとりPASAに入るので別れ際に先導車に・・・
「ありがとう」
といつの間にかお礼を言うようになっていた。
いつの間にかと言うことでは、もうひとつナビがこの先左からの合流があります。と注意喚起をしてくれるが・・・それにも
「ハイ!了解。左からの合流車両無し!」
「ハイ!了解。左からの合流車両有り!車間を開けて合流させます!」
と言うようになっていた。
この頃は1人運転で話し相手がいない退屈しのぎ?的なオヤジ解決法炸裂であった。
日が暮れて夕飯時になり佐波川SAで車中泊をさせてもらいました。
ここは駐車場が広くシャワースタンドもあり数人のドライバーが並んでいた。
そのとなりにセブンイレブンがありここでもドライバーが食料を買い込んでいた。
客の中には小さめのカゴからシャンプー、リンスを覗かせた女性ドライバーがいかにもシャワー後ですと言った感じで買い物をしていた。
オヤジはここで夕飯の弁当等を買ってマッタリしたあと22時頃に就寝した。
午前4時に佐波川SAで目が覚めた。
普段は起きて直ぐに朝食を摂らないオヤジだがこの時は惣菜パンと野菜ジュース等を食べれた事にビックリである。
移動準備してから走りだした。
合流すると昨日と同様にトラック隊列に混じって走った。
天気は曇で高速はガラガラ状態で走りやすかった。
オヤジのコルドバンクスはガソリンエンジンなので凄く静かである。
この時ふっと今回の帰省でバーストしたトラック3台、キャンピングカー3台を目にしたことを思い出した。
オヤジはキャンピングカーのタイヤバーストが怖くて仕方が無い。
因みにタイヤは2年前にブリジストンの
DURAVIS R670 215/70 R15 107/105Lに変えて、このままディーラー車検を受けている。
詳細はタイヤ幅:217、タイヤ径:681
最高空気圧:450、耐荷重:975/925(107/105)である。
キャンピングカーは3年経ったらタイヤ交換し空気圧やトルク管理をキチンとしていればバーストを回避出来るとの書籍を読んだことがある。
それでも心配なのである。
その書籍には高速よりも一般道がより安全ともあったし、バーストしていた3台のオーナーもタイヤ管理はキチンとしていたんだろうと思うと不安で仕方がない。
この先のICを出て一般道で神奈川まではまだ相当あるし、兎に角スピードは出さずにMax80キロを遵守するしかないか~。
そんな思いで宮島PAに到着した。
ここで先ずやったのがタイヤを直に触ってタイヤを凝視し異常がないかの目視チェック。トルクは今朝出るときに確認していた。
異常なしと自分に言い聞かせ、休憩がてらかき揚げうどんを注文した。
出汁がオヤジには塩辛かったので麺とかき揚げを口に運んだ。
コレはないわ~と!コーヒーを買って走りだした。
▽宮島 曇ってなければ~残念
その3お終い
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